2015年4月23日木曜日

おわりとはじまり

およそ2年かかって、0番から21番までの大アルカナの旅が終了。

毎回、ひとつひとつの探求が奥深く、
ラストのこの、ずっしりとしたエンドはきっと、
22回コンプリートしたからこそだという気がする。

タロット勉強会のラストのカード、「The Universe(またはThe World)」
では、いくつかあるなかでのふたつのテーマが明るみにでた。

ひとつは姉との、
もうひとつは長男との関係。
こうして旅を続けることで、おそらくは自身の生命の木=すべての家族像
が見えてくるのだろうと思う。

姉との出会いは、私が両親の次女として誕生した瞬間であり、
15年後に起きた、姉の死はその家族喪失でもある。

タロットカードの絵札から、姉の姿が浮かび上がり、
姉を失ったときの、複雑な感情が思い出された。
内側で起きていた、聖戦のようなものが終わったのだろうと。
そんなこと、当時15歳の自分が理解できてるわけがない。
34年も経った今になって、やっと、わかったことだった。

そして長男の誕生は新たな家族の誕生であり、
今回の彼の渡独は同時に、ひとつの大きなサイクルが完了したことを表す。
27年を経て、家族の姿が大きく変わろうとしている。

彼の渡独の翌日に、タロットの旅が終了。
彼がいるからこそ、
長い間、ここまでがんばってこれた自分。
彼が存在したからこそ、
その瞬間から、あらゆるものとの隔絶を強制された自分。

彼を愛するがゆえ、今回もあえて、分離を慶んで受け入れた。
両親の遠くにいればいるほど、大人になった彼は飛躍できるだろうと。
なんで、そんな気持ちになるのかよくわからない。

けど、いつか、ああ、こういうことだったんだ。
と思える日が来る気もしている。

それがまた、次のサイクルを終えるときなんだろうし。




2015年4月3日金曜日

火事と蕎麦


31日に近所で火事があり、そのすぐ裏がそばいち。

幸い、外観は無事だったけどこの日は定休日。
周辺の側溝などには煤がたまっていて、
すぐ後ろに広がる現場も、カメラを向けるにはあまりに気の毒過ぎる。

このお店ができたばかりの頃、
仕事、子育てに加え、長男の喘息発作の入通院でくたくただった。
夕飯どき、1歳の長女を背負い、自転車で通院。

経験者やその家族なら、ご理解いただけると思うけど、
突然やってくる発作は、早朝または夕飯時に起きやすく、
医療機関の通常外来時間には起きにくい。

当時、夫との約束で、
子育てとの両立が条件で働きに出たという意地から、
多忙は言い訳にならず、毎日食事の支度もがんばってたけど、
この日だけは、とにかく家に着く途中で休憩したかった。

夜7時半を過ぎていてもお店は空いていて、
他にお客様はいない。
奥の小さな座敷に案内してもらって、
まずは背中の小さな長女を下ろし、長男と座っておそばを食べた。

開店後すぐに、蕎麦の銘店として知る人ぞ知る存在になり、
もちろん、そのときの蕎麦の味は格別。

この火事をきっかけに、
あの頃の、すべてにいっぱいいっぱいな感情を思い出す。
なんとなく、今も似てる状況にあり、
そしてまた、今もその地点がちょうど通勤路のまん中にあるという。

今食べたら、どんな味がするのかな。
25年前の味と、変わらないのだろうか。