2015年4月3日金曜日

火事と蕎麦


31日に近所で火事があり、そのすぐ裏がそばいち。

幸い、外観は無事だったけどこの日は定休日。
周辺の側溝などには煤がたまっていて、
すぐ後ろに広がる現場も、カメラを向けるにはあまりに気の毒過ぎる。

このお店ができたばかりの頃、
仕事、子育てに加え、長男の喘息発作の入通院でくたくただった。
夕飯どき、1歳の長女を背負い、自転車で通院。

経験者やその家族なら、ご理解いただけると思うけど、
突然やってくる発作は、早朝または夕飯時に起きやすく、
医療機関の通常外来時間には起きにくい。

当時、夫との約束で、
子育てとの両立が条件で働きに出たという意地から、
多忙は言い訳にならず、毎日食事の支度もがんばってたけど、
この日だけは、とにかく家に着く途中で休憩したかった。

夜7時半を過ぎていてもお店は空いていて、
他にお客様はいない。
奥の小さな座敷に案内してもらって、
まずは背中の小さな長女を下ろし、長男と座っておそばを食べた。

開店後すぐに、蕎麦の銘店として知る人ぞ知る存在になり、
もちろん、そのときの蕎麦の味は格別。

この火事をきっかけに、
あの頃の、すべてにいっぱいいっぱいな感情を思い出す。
なんとなく、今も似てる状況にあり、
そしてまた、今もその地点がちょうど通勤路のまん中にあるという。

今食べたら、どんな味がするのかな。
25年前の味と、変わらないのだろうか。

2 件のコメント:

  1. あまりに昔のことですっかり忘れていましたがw、私も小児ぜんそく持ちで、そうえいば朝4~5時頃に発作を起こしたこともありました。
    発作が起こると本当に呼吸困難な状態になるので、周りで見ている人は「この状態が続くと、そのうち呼吸が出来なくなって死んじゃうんじゃないか」ぐら
    いの気持ちになったんじゃないかなーと思います。
    お仕事しながら、小さなお嬢さんを連れての通院、体力的にも精神的にも本当に大変だったことと思います。
    そばいちさん、pink whaleさんにとってはそんな大変な日々の中で小さな安らぎを与えてくれた思い出のあるお店なのですね。
    お店の方達も、すぐ裏で火事なんて冷や汗を流されたことでしょう。
    たとえ現在も通い続けているお店でなくても、当時の「頑張っていた自分」を思い出させてくれる古い日記の1ページのようなお店が火事に巻き込まれて消失、なんてことにならなくて良かったですね。

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    1. カンムリペンギンさん
      そうだったんですか~。
      小児喘息は子供のうちに克服しないと一生ものになるんですよね。カンムリペンギンさんの親御さんも、当時は治療のために大変だったと思います。
      とにかくあの頃のじぶんは20代前半。育てた子らはその歳を越えてしまいました。
      今回のことでふっと思い出したくらいで、ぜんぜんお店に足を運んでなかったんですけどね。営業再開できてるのか、正直不明です。

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